久津八幡宮
久津八幡宮(くづはちまん) 1 概要 祭 神 應神天皇、天照皇大神、春日大神を主神とし仁徳天皇をはじめ八柱の大神を配祀する。 由 緒 仁徳天皇65年(377)勅命により難波子武振熊命が飛騨国の両面宿儺を征討の途次應神天皇の霊を奉祀したのを創祀とし平治の乱(259)役募兵のため飛騨に入国した源義平が鶴岡八幡宮の神霊を勧請奉斎したのを當宮の鎮座とする。...
View Article位山八幡神社
位山八幡神社 創建年代は不詳。国説に、仁徳天皇六十五年、飛騨国両面宿儺追討の勅命を奉じた武振熊命(たけふるくまのみこと)が、この地に先帝応神天皇の尊霊を奉祀し、戦勝を祈願されたところで、祭場遺跡とある(「飛騨八幡八社」の一つ)。また、里伝に宮坂の現地と、森の幅、上馬瀬戸にあった三社を、合併合祀したとも伝えられている。...
View Article森水無八幡神社
森八幡神社(森八幡神社・水無八幡神社・松森八幡宮) 森水無八幡神社(もりみなしはちまんじんじゃ)は、岐阜県下呂市にある八幡神社である。「森八幡神社」とも言う。 毎年2月に行われる田の神祭は、「田遊び」がその元となっているとされる豊作予祝祭であり、重要無形民俗文化財に指定されている。 1 森八幡(はちまん)神社(森八幡神社・水無八幡神社・松森八幡宮) 下呂町森字羽根1,321番地 .祭神...
View Article乗政八幡神社
乗政八幡神社 鎮座地 下呂町乗政字森1,011番地 (旧社格 指定村社) 1.祭神 応神(おうじん)天皇・天(あま)照(てらす)皇(すめ)大(おおみ)神(かみ) 大(おお)己(な)貴(むちの)神・少(すくな)彦名(ひこなの)神 火産(ほむ)霊(すびの)神・白山三柱神...
View Article下原八幡神社(水無八幡宮)
下原八幡神社(水無八幡宮) 下原八幡神社(水無八幡宮) 鎮座地 金山町中津原字佃940番地 (旧社格 郷社) 1.祭神 応神(おうじん)天皇 他 1.由緒...
View Article飛騨支路・苅安峠
飛騨支路・苅安峠 位山 位山(標高1,529m)は飛騨のほぼ中央に位置する。宮峠から位山を経て川上(かおれ)岳(だけ)へと東西に連なる山系は「位山分水嶺」と呼ばれ、ここに発する川は日本海側と太平洋側へと分かれて海へと流れる。位山を源流とする宮川は飛騨の中央を縦断し、高原川と合流し神通川となって富山湾へと注いでいる。...
View Article位山峠の石碑
位山峠の石碑 飛騨支路・位山峠の石碑 くらいやまとうげ 位山峠 下呂市萩原町 下呂市萩原町山之口の北部にある峠。位山分水嶺の南東に位置し標高1,095m。明治中期までは萩原から位山峠・苅安峠を経て宮村に至る位山街道がよく利用されたが、飛騨川沿いに北上して宮峠越えに宮村に至る国道41号が開通してさびれた。 <引用文献> 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 竹内理三編集『角川日本地名大辞典 21...
View Articleあさんず橋
あさんず橋 飛騨支路・あさんず橋 萩原町指定史跡 あさんづの橋所 石碑 下呂市萩原町尾崎宇舟渡 奈良時代の頃より、飛騨の国府(飛騨の国の中心地)から都へ上る本街道は「位山官道」と呼ばれ位山峠を越えて山之口から尾崎まで来て、ここから益田川を越して対岸の宿場「上留(かみのとまり)」(今の上呂)へ渡り、萩原を通って美濃の国の東山道へと通じていた。...
View Article下呂
下呂 飛騨支路・下呂 下之留がなまって下呂になったと推定されている。下呂町森、湯ノ島村は益田(ました)川流域左岸に位置する。森、湯ノ島村の内、どちらの方に駅家があったのかは分からないが、森八幡神社の歴史は古く、森村あたりと思われる。...
View Article下呂解脱観音
下呂解脱観音 飛騨支路・下呂解脱観音 解脱観音から初矢(はちや)峠へ 下呂市下呂町森(駅家推定地)を過ぎた飛騨支路は、下呂市小川の解脱観音ところから山道となる。解脱観音の脇を上がるとすぐに石畳の道が始まり、初矢峠へとつながる。 初矢峠と解脱観音との中間には、石垣を積んだ敷地の建物跡があった。随分前に廃村となったのであろう。巨大な岩もあって、頂部には祠が祀られている。 小川 おがわ<下呂町>...
View Article乗政
乗政 飛騨支路・乗政 のりまさ 下呂市下呂町乗政 初矢峠を過ぎるといったん下り少し上ると平坦な地形になって、川合平園地にたどり着く。そこにはアズマヤやトイレがあり、そこから下ると乗政集落に出る。...
View Article火打峠
火打峠 飛騨支路・火打峠(ふくらい ひうちとうげ) 下呂市市金山町福来 益田(ました)川流域左岸、中津原(なかつはら)の北に位置する。東方へ谷に沿って奥洞・野首の集落があり、火打峠を越えて火打に出る。江戸初期には支村名野首をもって称した例もある。 〔近世〕福来村 江戸期~明治8年の村名。飛騨国益田郡下原(しもはら)郷のうち。支村に奥洞・野首がある。 〔近代〕福来...
View Article下原八幡神社
下原八幡神社 なかつはら 中津原<金山町> 益田(ました)川左岸に位置し、火打ち峠する。地名の由来は「古しえ此郷中に、上ツ原(門原)、此の中津原、下ツ原(下原町)三村並び称えたる名なるべし」という(後風土記)。 〔近世〕中津原村 江戸期~明治8年の村名。飛騨国益田郡麻生(あそう)郷、のち下原(しもはら)郷のうち。 〔近代〕中津原...
View Article金山
金山 飛騨支路・金山 かなやま 金山<下呂市金山町> 益田(ました)・馬瀬(まぜ)両川合流点付近一帯。濃飛両国の境で、飛騨益田郡、美濃郡上(ぐじょう)・加茂・武儀(むぎ)の各旧郡の接する地。地名の由来は、昔当地で金が採鉱されたことによるという(金山町誌)。古くは「延喜式」にすでに「金山河渡子」が見えている。木曽川の支流飛騨川がその支流郡上川と合流する箇所に、金山湊(かなやまみなと)がある。...
View Article菅田
菅田 飛騨支路・菅田駅 すがた 菅田<下呂市金山町> 馬瀬(まぜ)川支流菅田川流域に位置する。 〔古代〕菅田郷 平安期に見える郷名。美濃国武芸(むげ)郡九郷の1つ。 〔中世〕菅田郷 鎌倉・南北朝両期に見える郷名。美濃国のうち。 <引用文献> 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 竹内理三編集『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』角川春樹発行 昭和55年
View Article
More Pages to Explore .....